今年に入ってから、わが家に少し不思議な、そしてなんとも言えない「モヤモヤ」を運んできたものがあります。
それは、2つの生命保険会社から届いた「保険証書」でした。
送り主は、70歳を過ぎた義理の母。 どちらの証書も、受取人は私の夫になっていました。驚いたのはその内容です。どちらも数百万円という金額が、すでに一括で払い込まれていました。
「今さら、なぜ?」という純粋な疑問
証書を見た瞬間、ありがたいという気持ちよりも先に「えっ、今から?」という驚きが勝ってしまいました。
わが家はちょうど下の子が大学を卒業するタイミング。「これからは自分たちの生活をスリムにしよう」「生命保険も最低限に整理していこう」と話し合っていた矢先のことだったからです。
70歳を過ぎて、高い保険料を一括で払ってまで、今から新しい保険に入る必要ってあるのかな……。 正直なところ、そんなにまとまったお金があるなら、お義母さん自身のこれからの楽しみや、もっと身の回りのことのために使ってほしい、と思ってしまったんです。
「葬式代かな」と言葉を濁す夫
この件について、お義母さんから事前の相談や説明は一切ありませんでした。ただ、証書だけがスッと届いたんです。
夫に「これ、どういうことかな?」と聞いてみましたが、 「うーん、終活のひとつじゃない? 葬式代にしてほしいってことかな……」 と、どこか他人事のような、それ以上は触れたくなさそうな返事。
実の親子でも、お金や死に関わる「終活」の話は、やっぱりハードルが高いようです。 結局、お義母さんがどんな思いでこの保険に入ったのか、本当の理由はわからないまま。わが家の引き出しには、正体不明の「モヤモヤ」だけがしまわれることになりました。
「親の愛」と「子の本音」のズレ
きっとお義母さんなりに、息子である夫に苦労をかけたくないという「親心」だったんだと思います。 でも、受け取る側の私たちからすれば、お金そのものよりも「お義母さんが今、何を考えているのか」「これからどう過ごしたいのか」という言葉の方が、ずっと大切だったりします。
終活って、ただ資産を残せばいいわけじゃないんだな。 今回のことで、つくづくそう感じました。
自分が「残す側」になったときは
お義母さんの保険証書を見て、私は自分たちの終活についても考えさせられました。
子どもに何かを残すとき、それが独りよがりのプレゼントにならないように。 「これを受け取った相手が、どう感じるか」 「ちゃんと意図が伝わっているか」
せっかくの親心が、家族の「モヤモヤ」に変わってしまわないように、元気なうちから少しずつでも、自分の考えを言葉にして伝えていきたい。そう強く思った出来事でした。
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